20代転職

家族経営の職場で壊れた心|うつ病発症から退職までの記録

naako
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家族経営の職場で壊れていった心

この記事では、

・児童福祉の仕事を5年間続けた私が
・家族経営の職場環境で適応障害とうつ病を発症し
・退職に至るまでの経緯

を体験談として書いています。

同じように

「職場の人間関係がつらい」
「自分が弱いだけなのでは」

と悩んでいる方に届けば嬉しいです。


高卒で就職。5年後、人生に違和感を覚えた

私は高校卒業後、すぐに就職しました。

安定した仕事。
大きな不満があったわけではありません。

でも、5年ほど働いた頃、

「このままでいいのだろうか」
「私は何をしたいんだろう」

そんな違和感が心に積もっていきました。

毎日同じことの繰り返し。
変わらない景色。

今の生活や人生に、どこか嫌気がさしていました。

昔から、子どもと関わる仕事に憧れがあり

なかでも目指したいと思ったのは、
特別支援学校の教員です。

支援が必要な子どもたちと、丁寧に向き合う仕事。

「私もそんな先生になれたら」

そう本気で考え、大学や専門学校の資料を取り寄せました。

ですが現実は甘くありませんでした。

・学費の負担
・働きながら通う難しさ
・教員採用試験の壁

理想と現実の差を目の当たりにし、
挑戦する前に諦めてしまいました。

今思えば、あのときは「怖さ」の方が勝っていたのかもしれません。

教員の夢は諦めましたが、

「子どもと関わる仕事がしたい」

その気持ちは消えませんでした。

そんなとき知ったのが、
資格がなくても働ける児童福祉の仕事でした。

友人の紹介もあり、
オープンスタッフとして入社。

会社の立ち上げから関わることになりました。

1年目は、心から楽しいと思える日々でした。

社長は従業員一人ひとりを気にかけ、
職場の雰囲気も良く、
子どもたちも可愛くて、

「ここでなら頑張れる」
「やっと自分の居場所を見つけた」

そう思えていました。

あの頃は、
まさかこの職場で心を壊すことになるとは、
想像もしていませんでした。


2年目、職場の空気が変わり始めた

2年目に入った頃、
社長の旦那さんが会社員を辞め、会社の手伝いに入るようになりました。

ここから、職場は少しずつ変わっていきます。

最初は「お手伝い」という立場だったはずなのに、

・旦那さんの判断が最優先
・社長よりも実質的な発言力を持つ
・会社の方向性が頻繁に変わる

現場よりも、旦那さんの一言で物事が決まるようになりました。

さらに違和感を覚えたのは、公私の混同です。

職場内でも、家で呼び合っている名前で呼び合う。
旦那さんが出勤すると、社長は席を移動し、隣に座って談笑しながら仕事をする。

まるで会社というより、家庭の延長のような空間でした。

仕事中であっても、夫婦の空気が優先される。

「これは会社なのか、家庭なのか」

そんな疑問が、少しずつ積み重なっていきました。

その後、旦那さんは会社の取締役になりました。

しかし、

・朝礼には参加しない
・報告・連絡・相談には加わらない
・決定事項を共有しない

それでも発言力だけは強く、
朝礼で決まったことも、最終的には旦那さんに伝えに行き、承諾を得なければ進みませんでした。

現場で話し合って決めたことが、あとから覆ることもありました

「決める人はいるのに、責任の所在が見えない」

その構造に、強い違和感と不満を感じていました。

違和感は確実にありました。

不公平さも感じていました。

でも、

「仕事自体は好きだから」

その気持ちが、私を引き止めていました。

子どもたちと向き合う時間は、やりがいがありました。
だからこそ、職場環境の問題に目をつぶり、耐える選択をしていました。

今思えば、あのときの「我慢」が、
少しずつ心を削っていったのだと思います。


事業拡大と、新しく入った2人の従業員

会社は景気に乗り、事業を拡大することになりました。

それに伴い、従業員を増やすことになり、2人の新メンバーが入社しました。

1人は、社長夫婦の家族の紹介。
もう1人は、一般求人から応募してきた、児童福祉の経験が豊富な方でした。

その方は知識もあり、現場経験も豊かで、
間違っていることははっきり「違う」と言える人でした。

私にとっては、とても頼れる存在でした。

しかし、その同僚は3か月の試用期間中に退職しました。

会社の発表は、

「仕事量が負担で体力が持たないとのこと」

というものでした。

でも、私はその裏側を知っていました。

社長夫婦は、その方の専門的な意見や指摘を快く思っていませんでした。

そこから始まったのが、

・粗探し
・威圧的な面談
・他の従業員への探り

そして最終的に、「自己退職」という形に持っていきました。

実質的には、辞めさせられたのと同じだったと思います。

私たちは、その状況を見ていながら、何も言えませんでした。

社長に逆らえば、自分がどうなるか分からない。

守れなかったことが、今でも悔やまれます。

あのとき声を上げられなかった私は、
本当に弱い人間だったと思います。

さらに衝撃だったのは、

社長が他の従業員に

「面談で私が辞めるような言い方をした」

と話していたことでした。

そのときから、私は社長夫婦への信頼を完全に失っていきました。

同僚がいなくなったあと、
社長夫婦の“ターゲット”は消えました。

そして私は思いました。

「次は、自分かもしれない」

家族経営の職場では、
権力を持つ人にとって都合の悪い存在は排除されやすい。

その恐怖が、日常になっていきました。

それ以降、私は常に顔色を伺うようになりました。

業務量は増え、
期日に間に合わせても叱責される。

ルールは毎日のように変更され、
ミスは許されない。

その頃から

・喉の違和感
・声が出なくなる
・動悸

身体に症状が出始めました。


夏休み期間の理不尽な叱責

長期休暇の期間は、子どもたちが朝から来所します。

見守りや療育に追われ、自分たちの事務作業はほとんど進みません。
むしろ仕事が溜まっていく時期でした。

そんな中、社長から指示が出ました。

「60人以上分の書類を、今日中に仕上げて」

全従業員が、心の中で思いました。

「それは無茶だろう」

でも、やるしかありませんでした。

子どもたちの送迎後には、

・掃除
・書類作成
・保護者対応
・翌日の準備

やることは山積みです。

ですが社長夫婦は、子どもたちを自宅に送迎した後、そのまま直帰します。

現場の慌ただしさを、実際には見ていませんでした。

送迎ルートも、社長が帰りやすいように組むなど、私たちは常に気を使っていました。

もともと送迎は「自由に変更していい」と言われていました。

その日は、指示された業務を終わらせるために、送迎に出ない従業員を作る必要がありました。

そこで、

家が近い子どもたちをまとめて大きい車に乗せ、効率よく送迎する

という判断をしました。

社長には伝えていませんでした。

結果、指示された書類は無事に終わり、その日は帰宅しました。

「なんとか乗り切った」

そう思っていました。

しかし翌日。

事実確認もないまま、

「勝手な判断をするな」

と威圧的に叱責されました。

理由を説明する隙もなく、
ただ一方的に責められる。

このとき、心が大きく傷つきました。

退社後、代表して一人の従業員が社長に連絡し、事実を説明してくれました。

その後、私は呼び出されました。

言われたのは、

「なぜその場で言わないのか」
「子どもじゃないんだから気分で仕事をするな」

という言葉でした。

社長夫婦が勘違いして叱責したことへの謝罪はありませんでした。

私は一方的に悪いとされました。

会社のことを考え、
どうすれば業務を回せるかを必死に考えた結果でした。

それなのに、

評価もなく、
理解もなく、
謝罪もない。

そのとき、心の中で何かが音を立てて折れました。

「ここまで考えても、信じてもらえない」

それまで積み重なっていた不信感が、
決定的なものになりました。


表面上は立て直していた、はずだった

送迎トラブルの一件のあとも、
私は気持ちを切り替えて仕事に行くことができていました。

「考えすぎないようにしよう」
「仕事だけに集中しよう」

そう自分に言い聞かせていました。

その時から、

私(あめだま)が仕事辞めるかもと、社長が言いふらしている様子でした。

心の奥では、確実に何かが削れました。

そんな中で、入社して3か月の従業員から結婚式に招待されました。

本来ならお祝い事のはずです。

しかし、その出来事がきっかけで、職場の空気はさらに悪くなりました。

声を掛けられたとき、私はとっさに二つ返事ができませんでした。

そのことを、社長夫婦から注意されました。

「なぜすぐに返事をしないのか」

その後、従業員一人ひとりに対して、
結婚式に出席するかどうかを確認する“面談”が始まりました。

結婚式に「出席しない」とはっきり言った従業員には、
明らかに強い口調で発言がされていました。

仕事に関しても細かくダメ出しが増え、
まるで態度への“罰”のように感じました。

さらに、

「会社として大きな決断をしないといけない」

と、他の従業員に話しているという噂も耳にしました。

それはまるで、

「従わない人は切る」

と言われているように聞こえました。

その話を聞いたとき、

「辞めさせられるかもしれない」

という不安が、一気に現実味を帯びました。

同僚が辞めさせられたときのことが、頭をよぎりました。

次のターゲットは、私かもしれない。

そう思った瞬間、
胸が締めつけられるように苦しくなりました。

面談の日が近づくにつれ、
眠れなくなり、食欲も落ちました。

そして面談当日。

朝、どうしても体が動きませんでした。

会社に行こうとすると、涙が出てきました。

「怖い」

その感情が、体を止めました。

私は、その日、出勤できませんでした。

ここで、心が限界を迎えたのだと思います。


心療内科での診断

泣きながら、体調が悪いことを会社に伝え、その日は休みました。

電話を切った直後、私は車に乗り、そのまま心療内科へ向かいました。

朝10時に受付をし、実際に診察を受けられたのは夕方6時半過ぎ。
長い待ち時間のあいだも、不安と緊張で落ち着きませんでした。

診断結果は、

・全般性不安障害
・適応障害

そして、2か月の休職指示。

会社にその事実を伝えなければいけない。
そう分かっていながら、どうしても連絡する勇気が出ませんでした。

少し気持ちが落ち着いたころ、社長から電話がかかってきました。

第一声は「大丈夫?」ではなく、

「今、体調不良になっている原因は何?会社が原因でしょ?」

という、一方的な問い詰めでした。

私は再び涙があふれ、言葉を発することができなくなりました。

30分近く、そのような会話が続き、
やっと絞り出せた言葉は、

「後日でもいいですか……」

それでようやく電話は終わりました。

しかしその夜、
消えたいという気持ちが強くなり、涙も止まらないまま朝を迎えたことを覚えています。

その後、実家での療養生活が始まりました。


復職面談で退職を決意

2か月の休職期間中、
本来なら休むための時間のはずなのに、頭の中ではずっと仕事のことがぐるぐると回り続けていました。

会社の空気。
社長の言葉。
あのときの面談。

何度も何度も思い出しては、不安に飲み込まれる。

休職しているのに、まったく休めていませんでした。

2か月では復職は難しいと判断し、さらに1か月延長しました。

本当は、辞めたい気持ちのほうが大きかった。
でも、「ここで辞めたら、もう働けなくなるかもしれない」という恐怖もありました。

だから私は、復職を決意しました。

社長に復職の意思を伝えると、
「事前に面談をしましょう」と言われ、日程が決まりました。

面談は、職員が働いている時間帯に行われました。
配慮は感じられませんでした。

復職前の面談で、私は勇気を振り絞って伝えました。

「辞めさせられると思って怖かったこと」
「私が辞めるかもしれないから心づもりをしておいて、と社長が言っていたと聞いたこと」

けれど返ってきたのは、

「そんなことは言っていない。言った人をこの場に連れてこい。」

という、あっさりとした否定でした。

その瞬間、はっきりと分かりました。

――この環境では、もう無理だ。

私はその場で、退職の意思を伝えました。


家族経営の職場で感じたこと

家族経営すべてが悪いわけではありません。

ただ、

・権力が偏る
・客観的なチェックが働きにくい
・公私混同が起こりやすい

こうした環境では、
従業員の心が守られにくいと感じました。


今、苦しんでいる人へ

退職後も罪悪感はありました。

1年経った今でも夢に出てきます。

でも、

あの職場を離れた選択は間違っていなかった。

少しずつそう思えるようになりました。

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あめだま
あめだま
SUPEREGHTの青色推しのあめだまです😊 福祉系の仕事に従事しながら空いた時間で副業しています! よろしくお願いします😊
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